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Land Traveler - 第2章 - 10話

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 男は北の山へ向けて馬を進めていた。もう季節も夏を過ぎ、秋の気配どころか冬の風に転じてきている。あと一月もしないうちに木々の葉は落ち、じきにこの一帯までも白く覆われることであろう。

 不意に腕の中の塊がむずかるように動いた。そのことでここにきた使命を改めて思い出す。知らず腕に力が篭り、抱えていたそれが愚図つく。慌てて篭めた力を解くと、再びすやすやと寝息を立て始めた。
 赤子を抱いてこうやって城を出てからどの位経ったであろうか。はじめのうちは街だったということもあり人の目に付かないようにひやひやとしたが、山に入ってからは木こりとすれ違うことすらしない。いっそすれ違ってこの赤子のことが見つかってしまえば、とも思ったがそんな淡い期待など、叶うはずもなかった。

 今俺は、王の子を殺すために馬を進めている、王の命令で。



 この命令が下ったのは、昨夜遅くだった。そもそも王妃が産気づいたのも昨日の朝ごろだったはずだ。城から急使を受けて着いた時には女共が慌しく城内を巡っていて、何もできることはなくただ控えていたら、泣き声が聞こえて、同時に王妃の悲鳴が。
 そう、悲鳴。叫び声といったほうがいいかもしれない。子供を生むときのものとはまったく違った、まるで呪いの言葉だった。しばらく続いたそれが終わると泣き声も、他の物音もしなくなった。城内をすっぽりと包んだ静寂を破ったのは青ざめた表情で部屋から飛び出した産婆たちのバタバタとした足音だった。何があったのかと問い詰めても彼女たちは口を閉ざしたままで、ようやく彼女たちの後から出てきた医師が死産を伝えたことであたりが悲壮な空気に包まれる。そんな時、医師と共に出てきたタランドに呼ばれた。
 中に入ると陛下と、タランドと、横になった王妃がいて、その横に布で包まれた何かが置かれていた。
(でもそれは、まだ息をしていて)
 皆に告げた言葉と現実の違いに疑問が沸いたが、同時に嫌な予感で胸がざわついた。こんな時の予感ほど不必要なほどによく当たるものだ。

「これが何か知っているか」
 布の傍らに立った陛下の声は酷く硬かった。王妃は横を向いたままそれをただ聞いていた。
「陛下の、御子…の、ご、遺体…」
 まだ生きている、ということは何故か言えなかった。喉が酷く乾いていた記憶がある。「そう」と静かに肯定された。伏せた瞳は何を耐えたのか、俺などにわかるはずもなかった。再び薄く静かに開いた瞳が静かに布に落とされる。
「遺体でなければいけない」
 それは生まれた我が子を否定する言葉だった。驚いて言葉も出ない俺に陛下が近くへ来るよう促す。よろよろと陛下と布に近づく。それを見て陛下が布に手を伸ばし、中から細く小さな腕を掴み上げた。
 それは、やはり陛下の御子だった。ちゃんと息もしている。肌の色もよく、何か不都合があるようには見えない。陛下が掴んだ腕を見る。少し白いようにも見えるそれは、いたって普通の赤子の腕だった、そこに続く、手の甲を除いては。
 それは不思議な模様だった。ただの痣というには少しはっきりしすぎている。しかしそれが何を表してるのかと聞かれても答えられない。けれどそれでいて赤子には不釣合いなほどの禍々しさを放っていた。背筋に冷たいものが走る。手の甲に見えるそれを指し「何かわかるか」と問われて否と首を振る。掴んだ赤子の腕を下ろし、口を開くのを待つ様はさながら死刑宣告を待つ罪人のように思えた。
 ルノアの異端児だ、災いをもたらす、生きていてはいけない、お前以外には頼めない、だから…
(殺してくれ、と……)
 その時の陛下の声を思い出す。低く、淡々とした声。それをどこか遠くのことのように聞いていた。あまりに多くのことを突然知らされて、頭がついていかない。脳が考えることを放棄したのか、言葉は耳を通るのに、到底理解できそうにもなかった。けれど苦々しげな陛下、冷徹な表情を崩さないタランド、なにより我が子を視界にすら入れようとしない王妃。その様子だけでこの子が望まれぬ子なのはよくわかった。
 タランドが、王族の『異端児』のことを簡単に説明しているが、そんなものほとんど耳に入っていない。単純な俺にはそんな取ってつけたようなものなど意味を成さない。何にせよ、陛下の命令は絶対。それがどんな内容であれ、命令を拒否する自分などどこにもいるはずないのだった。二つ返事で頭を垂れると、寝かされたままの赤子を受け取り人目に付かぬようその部屋を立ち去った。



 山の中腹を過ぎた辺りで馬から下りた。見下ろすと、枯れ木の隙間から僅か下のほうに城の尖塔が見える。近くの木に手綱をつけ撫でてやると嬉しそうにブルリ、と一度首を振った。あたりを見渡すが、人どころか狐や熊といった動物すらいない。赤子を抱いたまま山の中を歩くと、踏みしめた落ち葉が湿った音を立てた。少し離れたところで赤子を地面に降ろした。何も知らない瞳がきょとん、と見上げてきた。

 古の種族のことは、正直よくわからない。
俺には種族名(ミドルネーム)なんてないし、元々陛下に仕える前は酒場のごろつきみたいなもんだったから周りにもそんなたいそうな家の奴なんていなかった。羽振りのいい仕事の依頼主とかにはいた気がするが、興味もなかった。
(だから、そんな、呪いとか異端児、とか)
 急に言われても対応できないのだ。ホラ、と証拠の痣を見せられてもそれはただのよくある痣にしか見えなくて。
(この御子は、間違いなく、陛下の御子で)
 目の前の無邪気な頬を指で撫でる。擽ったそうに首を捻る様子に悪意や殺意といったものなど全く感じない。
 城で理解を放棄したツケが回ってきたようだった。夢であれと願っても、頬に当たる風の痛いまでの寒さがこれを現実だと知らしめる。
 短く息を吐いて腰に下げた小ぶりのナイフをベルトから取り外す。小さいとはいえ非常時の護身用であるそれは、十分に小さな命を奪える力を持っていた。鞘から刀身を抜く。そこに映る自分の顔を見たくなくて目を伏せた。
 感情を押し殺して強くナイフを握る。許せ、と念じて硬く目をつぶるとそれを頭上高くに振り上げた。


―――――…・・・・・ ・ ・ ・




 振りかざした腕は、数秒経っても振り下ろされることなくその場に留まっていた。その切っ先が小刻みに震えている。その震えが大きくなり、ついにナイフは男の手から地面へと滑り落ちた。赤子は自分が目の前の男に殺されかけたなど知る由もなく無邪気に男に手を伸ばしている。その様子がつい先日生まれた自分の子にかぶって見えた。
(できない…っ私にはとても……。こんな生まれて間もない赤子を手にかけるなどっ。しかもこの御子は………)
 どうすれば…と項垂れ愕然とする。主の命令は絶対。それに変わりはないし変える気もない。けれど彼には目の前の赤子を己の手に掛けることなどできそうもなかった。「必ず命を絶て」と厳しい表情で告げた声と表情が甦る。あの時強い意志を持って頭を垂れた自分が今の状況を見たら笑うだろうか。それともなんと情けないと侮蔑するだろうか。それでもできないものはできない。ただただ、肩を震わすばかりだった。


(許せ、許せよ…)
 呪文のように何度も心の中で繰り返す。
 結局男は赤子に手をかけることはできなかった。引かれる後ろ髪の先には先の赤子。何も知らぬその子は落ちる枯葉に今度は手を伸ばしているだろうか。木の室に一目では気付かれないように置き去りにしてきた、風くらいは防げるであろう。だがこれからの季節、一気に降りてくる冬に抗うことはできないだろう。まして何もできぬ赤子。凍えるのと飢えるのと、果たしてどちらが先であろうか…。置き去りにした罪悪感はあるが、手にかけることはできなかった男の苦肉の策であった。それでも勿論、陛下に対する負い目もあった。必ずと陛下は言われた。少なくとも、その言葉を違える事にはなる。
(やはり…っ)
 一度ぐっと強く目をつぶると、次の瞬間手綱を強く引いて来た道を引き返した。すでに生き物の気配の消えたこの山奥で歩くことも這うこともできない赤子が生き延びるとは到底思えない。けれどそんな己の勝手な甘えで、陛下の命を僅かでも違えることが許せなかった。






(何故だ!?確かにここの筈だっ…)


 先ほどこの場を去ってから数刻も過ぎてはいない。にもかかわらず、木の根元に置いたはずの姿は跡形もなく消えていた。
 やはり、と思い直して戻ってきた男に現実は厳しく突き刺さる。風が飛ばすような軽いものでもないしすれ違った人もいない。まさか山の上から降りてくる人などいるはずもない。ではなぜ?まさか置き去りにされた赤子自ら消えたと言うのか、そんなことがあるのか。男の脳裏に主の姿が浮かぶ。命令に背いてしまった。今までどんな難題ですらこなしてきたというのに。密令だと言った、お前にしか頼めぬと言った。彼の方を裏切ってしまった。どうすれば?捜すのか、あの赤子を。しかし、何の原因もわからず消えた赤子をどうやって捜し出せばいいのか。辺りを見渡しても、木々の間を冷たい風が吹き過ぎるだけで、人の気配など微塵も感じられなかった。
 後悔ばかりが胸を突く。やはり躊躇ってはいけなかった。自然に任せ苦から逃れようとしたのが間違いなのだと己の過ちを悔やんでも何も変わりはしない。


 男は膝を付き呆然とするより他なかった。



置き去りにするよりも一思いにやっちゃったほうが飢えと寒さで苦しむよりは断然良いだろうにそんなことはお構いなしです。 ようは自分が嫌な思いをしたくないだけ。やー自分勝手だね☆
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