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まだ少し冷たい朝の空気が頬を撫でて通り抜けた。暦にそぐわない冬の気配を僅かに残したそれに、このヘラザードが北の地にあることを、エリスはつくづくと実感した。
ファルトに請われるままウィズデリアの戦地を離れたアクエリアが、再びヘラザードに辿り着いたのは、もうひと月ほども前の事になる。
レイラの魔法によって移動したアクエリアは、目を開くよりも先に今まで感じていた生温い、どろりとした空気が消え、代わりにどこかピンと糸を張り詰めたような、清涼さを含んだ凛とした空気に身震いをした。あたりの気配を探ると、どこか覚えのある空気が漂っている。ゆっくりとエリスが目を開き辺りを確認する。そこはごちゃごちゃとした細い裏路地のようだった。まだ人が起きだすには早い時間なのか、往来に人影はなく、家々の中からポツン、ポツンと煙が立ち上るだけだった。
目の前には一軒の店がたたずんでいた。古びた扉に看板。左右のディスプレイには山積みになった本や蜘蛛の巣の張った薬ビンが覗く。そこまで確認してようやく気付いた。そこは、ヘラザードにあるキールの店の前だった。
キールは突然、しかも朝早くに現れたエリスに驚きはしたものの、彼女の様子や後ろに控える天馬の背に担がれたレオマイルを見て状況を察したのか、すぐに中へと招き入れてくれた。そしてレオマイルの状態を診、エリスからこれまでの経緯を聞くと、すぐさま行動をしてくれた。テキパキと何かの準備を進めるキールをエリスが眺めているうちに、彼女が城の謁見の間に立つ手筈が整えられ、太陽が中天を頂くよりも随分と先に、彼女はキールと共に王城へと足を踏み入れていた。
ひと月前の事を思い出しながらぼんやりと歩いていると、長い廊下の先に佇む見慣れた後ろ姿を見つけた。窓から注ぐ朝日が、彼の束ねた長い後ろ髪を煌かせる。そっと足を速めて近付くエリスの足音は、絨毯に吸われ彼の耳まで届かないようで、彼は眩しそうに外の景色を眺めている。
「レオマイル様」
あと数歩、という距離に来てようやく声をかけた。呼ばれた名前に彼はゆっくりと振り返る。見慣れた銀髪を目に留めたレオマイルは軽く手を上げて微笑んで見せた。
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