1. ホーム
  2. MAINページ
  3. Land Traveler
  4. 第1章
  5. 2話

Land Traveler - 第1章 - 2話

章先頭へ 前の話へ 次の章へ
縦書き
脱走


ヘラザード王国988年
 その日、王宮内は普段とは異なり、にわかに騒然としていた。初めはさほど大きな出来事でもなかったはずだが、騒ぎの中心人物が移動する度、その先々にいる者が何事かと集まり、更に噂好きの使用人たちの手伝いもあり、既に簡単には収まらないような規模になっていた。
 その中心では、国王、フロベール王の第1皇子であるファルト=ルノア=ヘラザードが人だかりから逃げるように、襟首で短めに切られた髪をわずかに揺らしながら、足早に動いていた。

 その後ろから、しっかりとファルトを見据えたままついてくる人物が一人。どこか飄々とした表情のファルトとは対照的に、眉間に皺を寄せた険しい顔で追いかけていた。
「ファルト様!いい加減にしてください!!ご自分の立場をお忘れですか!?」
 ファルトよりもほんの少し大人びて見えるその男性は、ファルトが皇子であることをものともせず、厳しい口調を緩めようとしない。
「立場?ただのこの国の皇子だろう?…あぁ、それかお前の主人か?」
 それならばお前のそのうるさい口を黙らせるか、と普段からあまり崩れることのない表情をちらり、と後ろの男性に向ける。その視線に彼独特の蔑みと小馬鹿にした態度を見つけ、更に男性の表情が険しくなった。
「私との事を話しているのではございません!あなたは皇太子ですよ!?このような事が許されるとお思いですか!!」
 あたり一面に聞こえるのではないかと思えるほどの声が張り上げられた。周りの野次馬が、その声に驚きいっせいに肩を震わせた。
しかし、怒鳴られた本人であるファルトは驚いた素振りもなく、先程と同じように男性を一瞥しただけで歩みを止めない。
「ああ、俺は皇太子だ。『国王』ではない。だから今俺がいなくなろうと何も変わりはしないだろう?」
 そう言ってファルトは足を止め振り返る。気が付くと、彼の自室まで来ていた。野次馬たちは扉越しに二人のやり取りを見守っている。
「そのような…」
「そのような問題ではない」
 ファルトの従者の言葉を遮って新たな声が部屋の入り口付近から発せられた。声の主に気づいた従者が、後ろを振り返らずに声の主の為にファルトの正面を空ける。入ってきた人物の姿を見止めたファルトの仏性面がムッとしたものに変わった。

 部屋の入り口から入ってきたのは、ファルトの父親ーーフロベール国王であった。


「…何か御用でも?父上」
 歪めた表情をすぐに戻し、更には常日頃から責務に負われていて自室になど滅多に現れない父が今この場にいるのが意外、とでも言うような顔をして、父親である国王を見上げる。慌てて来たのか、フロベール王は、少し乱れた服を軽くなでる事で整え、改めてファルトに視線を移す。
そんな親子の様子を、多くの家来たちが固唾を呑んで見守っていた。

「……そのような荷物を用意して、どこかへ出かけるつもりか?」
 しばらく静かに息子を見つめていたフロベールが、ファルトの傍らに置かれてある荷物に視線を向けて、口を開いた。
それは簡素ではあったが、街へ買い物と言うには量も口から覗き見える中身も無理があった。
「少し、散歩でもしようかと」
 父親の質問に、悪びれた様子もなく答える。いくらその答えが彼が己で用意した荷物の内容と合っていなくても、だ。
フロベール王の顔に一瞬怒気の色が表れる。しかしすぐにそれを押し込めた。
「お前は、散歩にそのような大荷物を持っていくのか?」
 自分自身を落ち着かせるように、そしてファルトの言い逃れる術を絶つようにゆっくりと言葉をかける。
 そんな父親の言葉に、己が用意した荷物に視線を移し、しばし黙り込む。
ファルトのその様子に、更に言い包めてしまおうとフロベールが口を開こうとした時、フォルトがおもむろにその顔を父親に戻した。
「ならば、一人旅と言うことで」
 いっそ「にっこり」と言う音が聞こえてきそうなほど、開き直ったように清々しい笑顔を向けられる。
その、己の身分や責任など鑑みることのない態度に、ついにフロベールの我慢も限界に達する。

「お前は皇太子と言う立場を何だと思っている!!ふざけるのもいい加減にしろ!!!」
 そのあまりの大声に、部屋の外で様子を伺っていた多くの者たちが肩を竦ませ、耳を押さえた。野次馬の一番外の者に至っては、前後の様子がわからないままその声だけが聞こえ、目を白黒させる者までいる。

 静まり返った辺りにフロベールの少し荒くなった呼吸の音だけが響く。普段あまり声を荒げることが無いことと、最近特に感じるようになったと言う「老い」が災いしてか、しばらくその状態が続きそうであった。


「…で?」
 廊下までもが静まりかえった中、感情の篭らない一音がファルトから発せられ、フロベールの瞳に再び怒りの色が現れた。そんな二人の様子に周りの者たちの顔がさっと青ざめる。
「お前はっ…」
「ふざけてるつもりは毛頭ありませんよ?自分が皇太子であることも、それが父上のあとを継ぎ、この国を治めるものだということも十分理解してます」
 父親の言葉を遮り、淡々と言葉を紡いでいく。
「学ぶべきことが多くあることも承知しています」
 ゆっくりと、狭くはない部屋を歩く。たどり着いた窓辺から外に目を向ける。頬を撫でる風はまだ冷たいが、ようやく訪れた雪解けの季節に、鮮やかな緑が所々に顔を覗かせている。
「そして、それはここにいるだけで知り尽くせるものでないことも」
 だから、と言葉を切ってファルトが父親に向けて顔を上げる。意志の強く篭った深紅の瞳が父親を睨みつけるように見つめる。
同時に窓の桟に乗せられていた腕に力が篭ったのが見えた。その様子に国王が来てからただ黙って控えていた従者がハッとする。この部屋は3階の位置にある。落ちたら一溜まりも無いが、あの窓の横には確か、雪下ろしや祭典用に簡易梯子がある筈だ。
「なんと言われようと、それが父上の言葉でも従うつもりはありません」
「いけません!ファルト様!!」
 従者が叫ぶと同時にヒラリ、とファルトが窓から舞い降りた。
部屋から覗く人々から悲鳴が上がる。急ぎ窓から下を覗き込むと―――簡易梯子に掛けていたであろう布を外して走り去っていくファルトの姿があった。


その日、王城から皇太子とその飛竜が飛び去っていった。
章先頭へ 前の話へ 次の章へ
▲ページ先頭へ▲